松本パルコ
2023.02.28
矢口です。
1週間くらい患っていた口内炎、ようやく落ち着いてきた。
いくつか同時多発していた彼らも、リーダー一人を残して去っていった感覚。
未だ幾分の痛さはあるけれど、お米を食べるのが辛くうどん生活をおくっていたここ数日からようやく解放されそう、嬉しい!
驚天動地。
昨日は、平日にも関わらず途切れなくお客様のご来店いただき、よく喋りよく笑った。
そんな最中、新聞記者の方がお越しくださり、「松本パルコが2年後に営業を終了するニュース」を聞かされる。
様々な感覚が去来。
新聞記者の方にお伝えしたセンテンス。
①地域のアイデンティティという観点、華やかしい昭和成長の時代から街のファッション文化シンボルとして誇らしい存在だった、感謝。
②ファッションビジネスという観点、松本商圏に住む方々にファッションを楽しむという土壌を育んでくれた、その影響のもとで当店も今励めている、感謝。
営業終了における理由など問うのは野暮。
終了する2年後2025.2月末で開業40年と言う節目、昭和成長とともにファッションが盛り上がりをみせた時代に成長し、平成から令和にかけて時代の需要と様々な要因でマッチングしなくなったと言うこと。
一過性の失敗でもなく、競合他社の影響でもなく、コロナ禍での影響でもない、ただそれらは時間の進みを早めただけだと私は思う。
これは同じ時代に少年期、青年期、中年期を過ごしてきた洋服業の私もひしひしと感じている大きなマーケットの変化、人が生まれ、成長し、歳を取ることとなんら変わらぬ自然な成り行き。
若き頃の武勇伝は壮年期にただ懐かしく語るだけのもの(あっ昨日のお客様に私も武勇伝語ってしまっていた^^)、壮年期にて新しいムーブメントを起こすことは並大抵ではない。
”明日は我が身”であること確かであり、パルコさんが終了するこの2年時間で私にも何があるかもわからない。
”行けるところまで一生懸命努めよう”と言う気持ちの引き締まりを感じながら、昨日は記者さんの取材を受けておりました。
40年、この街のランドマークとして、豊さに貢献してくれた功績に感謝と讃えを叫びたい。
ありがとう、松本パルコ!
パルコさん新しい営業さんが着任されるとほぼ都度出店の依頼をいただいただことは光栄、その都度ごめんなさいをしていたのは失礼ながらも有り難き思い出です。
さて、大切なのは2年後へ向けて動き出した針をどう進めるのか?これからの舵取り。
この街は近年とても魅力的で人が集まる地、コロナ禍過ぎてこれからがまた楽しみである、一時の感傷から新しい創造への切り替え。
人々が松本にどんな期待を抱き足を運んでくれるのか?その理由に次の街づくりの解はある、これまでも松本の行政は結果上手だった。
40年来のこのランドマークがその強みの増幅場所となれば素晴らしい、この街の船頭さんの舵取りにかかるところか。
そして当店を顧みる。
20年前から10年前くらいまでは、パルコさんに来られた方がお買い物袋を持って当店にご来店くださるケースも多々あった。
パルコを中心とした服探し街回遊性の恩恵に預かっていた時期、セール時期はそれが特に顕著でした。
しかし、ここ数年は(今も少なからず恩恵はあるのだろうけれど)それをほとんど感じていない、理由はいくつも想像している。
当店の今、当店を主たる目的にご来店くださる県内外のお客様と(感謝)、文化面を目当てに県外からお越しくださり、街ブラ途中で当店を発見、お立ち寄りくださりお買い物くださるケースが顕著に多い。
だから大きく影響を受けるとは考えていない、街の未来を悲観する感覚も大きくない。
影響があるとすれば、当店ご来店のお客様が使われているパルコさん需要が多かったであろう大型立体駐車場さんの存続。
そして、パンツの丈上げや服のお直しをパルコさん内のお店でずっとお世話になっていましたので、腕の良いお直し屋さん再探し。
これから2年後の完全終了を待たず、どんどんテナントは出て行くであろう。
今朝、本当に久しぶりにパルコさんに写真を撮りに行ったらば、一階一等地のテナントさんがもぬけの殻、すでにこの有様か!?
それでも、パルコ内で店舗を営んでいたオーナーさんが、松本市街地の空き物件に移転出店されれば街の彩りが鮮やかになり吉だ。
ずっと路面店である当店にとっては同じ見え方の競合店が増えることになるけれど、エリアとしての分母は変わらないのでそれに対しての戦々恐々の気持ちはない。
マーケットはさらに難易度を増し変化を続け、大きくて緩いものの瓦解は早く、コンパクトで強固、中身の詰まった確固たる個性を持つ存在の消失スピードは緩やか。
大都市ではこれまでの勝ちパターンは今少し継続するだろうけれど、中堅都市でのマーケティングはより一層後者になって来ると漠然と思う。
松本市街地でお店を営む事は楽しい!
「作りたいお店像を想像しながら、やり甲斐を抱き行けるところまで一生懸命創造しよう」って、いつもながらありきたりな誓いに帰着する。