JOURNAL

続・J39とシェイカー再学

2023.03.25

 

 

 

 

矢口です。

 

シェーカー (キリスト教)は、またの名をキリスト再臨信仰者協会(United Society of Believers in Christ’s Second Appearing)というアメリカ合衆国のキリスト教の宗派で、独身主義と共同生活を特徴とする。シェーカー教団は19世紀を中心にアメリカで活動したキリスト教団体、厳格な教義のもとに田園で共同生活を送り、祈りと労働の日々を送ったといわれます。教団は1774年に教祖アン・リーがアメリカに渡ったところから始まり1830〜50年頃が最盛期、メイン州からケンタッキー州にいたる19の共同体に約6000人が暮らしていた。シェーカー教団は私有財産も結婚も否定する再臨派のピューリタンでしたが、信仰の自由と平安を求めて多くの人々が信徒になりました。その背景には当時のアメリカ社会の厳しさがありましたが、同時にその社会の状況の変化がまたシェーカー教団の衰退の原因にもなりました。南北戦争以後のアメリカ社会の工業化は人々の暮らしにも、シェーカーにも大きな影響を与え19世紀後半から次第に教団の活動は力を失い、2019年では共同体はメイン州サバスデイレイクにひとつだけ残る、20世紀前半でその活動は出来ておらず終焉してしまったと言える。かつての共同体の多くは博物館になっている。

シェーカーの人々は俗世間を離れて田園で共同生活をおくりました。教祖アン・リーは堕落した社会を捨て去り、自然の秩序にある善に従い、高い徳性を持ったキリスト者として生きよと説きました。一切の虚飾を排した率直さ、明瞭な秩序、単純な美しさ、などが美徳とされ、それは生活の具体的な態度や習慣の中で実行されました。信徒の暮らしは細部にわたって厳しく規定されていましたが、かといって単に教条に縛られていたわけではなく、俗世の煩雑さからと解きはなたれて美しい自然の中で神との隣在感を持つ、充実した”Hands to work, hearts to God”の日々を送っていたと想像されます。教団は農業と牧畜を基礎とした自給自足をもって社会から独立、生活に必要なあらゆるものを自分たちで作りましたが、いずれもその教義に基づいた有用性、機能性を重視した独自のデザインを完成しています。

シェーカーの人々が自給用に作った様々な用具の中で、とりわけ注目に値するのが家具です。初期にはコロニアル様式やもっと素朴な農民工芸的なものからの影響をひきずっていましたが、次第にシェーカー独自のデザインができあがっていきます。このシェーカー・デザインはその教義、たとえば次の様な言葉を背景に生まれたものです。「規則正しいことは美しい」・「美は有用性に宿る」・「言葉と仕事は簡素であれ」・「調和の中には大きな美がある」。シェーカーの家具は、今でも博物館などで見ることができますが、そのフォルムの美しさと完成度の高さは、とてもそれが100年以上も前のものとは思えない”新しさ”を持っています。

シェーカーがもっとも大切にする4つの美徳は処女の純潔、共同体主義、罪の告白、分離主義である。マザー・アンの教義は単純で、罪の告白は回心の門であり、完全な不淫は人生の規則であるというものである。シェーカーは非常に貞潔であるため、男と女が握手したり階段ですれ違うことすらしない。シェーカーは不淫を守り、子供は養子縁組や改宗によって共同体に加えられる。孤児や家なき子をシェーカーが養育することも多かった。21歳になった子供はシェーカーから去るか残るかを決めるが、多くは不淫を望まずシェーカーから去った。女性に投票権が認められる150年前からシェーカーは人種と男女の平等を励行していた。シェーカーの教会は位階制を取るが、どの位階にあっても男女平等が守られる。衰退の理由は摩擦や、独身主義により信徒が子を生むことを望まなかったこと、またシェーカーの生産する手工業製品が大量生産品に対して競争力がなかったこと、よりよい生活を求めて人々が都市へ移ったことなどがある。

以上、シェイカー家具製造「UNOH」さんとウィキペディアから抜粋・私編集。

 

先日、7年ほど使っていたボーエ・モーエンセンの椅子J39をお譲りしたいと言う投稿をさせていただきました。

その投稿に、すぐさま数名の方がリアクションくださり、一番目にお問い合わせいただきました方にお引き継ぎいただくこととなりました。

お引き継ぎくださいました方に心からの御礼と、お声がけくださいましたのにご対応できませんでした皆様にお詫びと感謝を申し上げます。

 

時折り、お店の備品の入れ替えでこのような”お譲り致します”の投稿をさせていただく都度、すぐさまご連絡をいただけることとてもありがたく思います。

何がありがたいかと言えば、世代を超えて時間を共にできるプロダクトを継承いただける方にお渡しできる喜びは元より、その前段、洋服屋の発信でありながら家具やオブジェに敏感に嬉しきリアクションをいただけていること。

それは、当店投稿をご覧くださっている皆様のご興味が広く高く、良いものを長く使うお気持ちを有されている方が多いのだと感じられるから。

そして、この様な感性を持たれてる皆様のアンテナの一片に当店が存在し、ご覧いただけている事を大変ありがたく思うからです。

 

先にJ39のお譲りした背景には以下の様な理由がありました。

FREDERICIA社で新品生産されているJ39、このタイミングでラッシュ編み=草編み座面のモデルが限定生産・販売される。

そのラッシュ編みは、J39のデザインソースであるシェイカーチェアの座面であり、モーエンセン企画当初に製作したプロトモデルもそれに合わせてラッシュ編みの座面、モーエンセン自邸のJ39はラッシュ編みであったこと(大量生産するにあたって、または強度や座り心地という面もあるのか?草紐の座面ではなく、紙から作ったペーパーコード座面を用いこれまでずっと量産された背景がある)。

さらには、日本の民芸の椅子やシェイカーのヴィンテージチェアなど、古くからの椅子座面の編み材には草編みが用いられて来ており、ルーツであるラッシュ編みと好きな椅子J39の原点が交わった限定チェアにどうしようもない魅力を感じてしまい、手に入れたい衝動を抑えきれなかったのでございます。

 

「シェイカー再学。」

オーバルボックスやシェイカーチェアをはじめ、様々なシェイカーの代表的手仕事によるプロダクト(天然生活のUNOH家具工房さん記事を参照)がある。

シェイカー、シェイカーと連呼するクセに、その実を正確に語れなかったので、歴史と思想と様式をネットで紐解き学び直した。

 

7年連れ添って色づき始めたJ39をうしろ髪引かれる思いでお譲りし、新しく導入したラッシュ編みJ39。

オーク材の木肌は白々と草編みの紐もまだ青さの残る作り立て、これが経年し日焼けなどで飴色の木肌と枯れた草色に美化して行く。

このラッシュ編みのJ39は手放す事なく私生涯の時間を共にして、子ども世代から孫世代へ引き継いでもらいたいと思います。