JOURNAL

古町

2025.03.28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢口です。

 

先の定休日、上京中の息子帰省に合わせて妻の実家新潟市へ日帰り往復。

ワンコも含め家族5人、久しぶりのドライブは何か特別なことがある訳でもないけれど何かとても嬉しい父親心。

 

30年前20代前半、新卒から配属、3年間新潟市で過ごす。

私が過ごしたこの3年間は1991年に終わったバブル景気後すぐの平成初期、その頃の新潟は好景気の賑わい残す街と人の賑やかさがあった。

 

それから30年、洋服屋さん定点観察で頻度高く歩いた古町エリアのアーケードを子供らと久しぶりに歩く。

しかし、平日ともあって人通りはまばら、定休日か?シャッターが閉まったお店も多い商店街、建物・装飾も経年の疲れをみせる昭和の色合い。

 

日本海側一の大都市であったばかり、きっと昭和好景気に急激街が作られ、その後”失われた30年”へと突入。

経済はデフレ、若年人口は減少、買い物方法は多様化、一極集中の東京などのメトロポリタンはその都度スクラップ&ビルドがなされるけれど、大都市と言えど地方レベルではそれに及ばず。

 

故に、私の記憶に残る昭和・平成初期の姿で残る、まるでタイムカプセル。

日本の多くの地方都市、特に昭和に成長・大繁栄した街は、器の大きさから良好な循環を果たせないまま今を迎えているのだろう。

 

そう思うと松本は中規模な都市であったことがかえって功を奏した事例、コンパクトな故に古い街や建物に適時適切に手を入れられリノベーション、程よく新しいものも作られ馴染み溶け合ってきた、自然・歴史・文化と人を惹きつけるコンテンツの多さも幸いして。

現在、だからこそ歩くのが心地よく、訪れた人に良き印象をお感じていただけるのだろう。

 

だからこそ、今は良好な松本市であろうとも、この先を見据えながら日々整えてゆく理由がある。

小さな建物は個人・企業で循環させられるけれど、昭和華やかなりし大箱物であるパルコ・井上本店、旧イトーヨーカ堂、地方都市で利益を出しハンドリングできる有力なディベロッパーはいない、だから行政も関わり適切な後利用計画をおろそかにせずで願いたい。

 

大卒ホヤホヤで右も左も分からない若造期に華やかさ感じた新潟市古町、人影まばらな平日の古町は想像していた以上にギャップを色濃く感じました(週末に行けば印象は違っていたかもしれません)。